石神井公園「まかないや龍(ロン)」
大泉学園とんかつ「地蔵」
おいしくてボリュームもある文句なしの店。そして味噌汁、キャベツ、御飯のお代わりが自由なのもいい。御飯は白米か十穀米を選択可能。
とんかつはもちろんの事、季節メニューの牡蠣フライもオススメ。とても巨大だが味も最高。コロモだけで大きくなっているのではなく身がこの大きさなのだ。添えてあるタルタルもいいがからしもいい。とんかつもそうだけど一口目は何も付けず、あるいは塩だけで食うのもいいかもしれない。
そして管理人のもう一つのオススメはこれ。
カツカレー!
なんと追いカレーも可。要はカレーのルーのお代わりができる。もちろんライスと味噌汁とキャベツもお代わり自由。このキーマカレーはその辺のカレー専門店以上ではないか?もはやここを天国と言わずになんと言えばいいのだろうか。
期間限定との事だが2022年前半にはまだやっていた。正式メニューとしてずっとやって欲しいのだがいかに。
食いきれなかったら持ち帰りもできる。丁寧にキャベツと弁当用のソースまでくれる。大泉学園でガツンと食いたくなったら行くべし。しかーし、老人客もすごく多いのでガツンじゃなくても大丈夫。
上井草のレトロな洋食「アストラーザ」
2001年ハンガリー・フランス旅行3
ブダペスト2日目。いよいよサーキットに出向く。鈴鹿と違って情報も少なく多少の不安はあるがなんとかなるだろう。サーキット直通バスが出てる駅までトラムでGO。最近は最新式のモダンな車両も多いみたいだけど管理人の時代にはこんな感じのレトロ車両がメイン。
これが結構揺れる。チケットはバス、地下鉄も共通でそれぞれを乗り換えても確か60以内有効だと記憶している。刻印をしっかり打たないと無賃乗車とみなされ結構高い罰金を支払う事になる。大きめの駅で抜き打ちで検札をしている。
そしてサーキット到着。
当時はミハエル・シューマッハ全盛期。このレースに出て今も現役なのはこの年にデビューしたフェルナルド・アロンソのみ。
チケットは指定席だったけどこうした自由席(席はないが)をうろついて色々な角度から楽しんでみた。
この日は練習走行と一回目の予選。15時頃に終了してブダペスト市内に戻る。市内に戻って伝統楽器「ツィンバロン」の工房を見つけたので見学をさせてもらった。その後マクドナルドで氷のほとんど入ってないコーラを飲んで一休み。この国では最後までキンキンに冷えた飲み物にはありつけなかった。氷を入れる習慣がないのか・・・。イタリアのドレッシングがないのと同じで外国意外な面あるある話かもしれない。こういうのも普通に認めなければ海外旅行はできないのだ。
とりあえずストロベリーに戻るのであった。
2011年フランス旅行1
2011年フランス旅行。
ワイン愛好家である管理人がワインの聖地「ボルドー」を目指す旅である。
旅程
パリ→ボルドー→サン・ジャン・ピエー・ド・ポール→バイヨンヌ→パリ
パリ以外聞いた事のない街だがこれはいわゆるフランス・バスク地方の街。スペインとの国境にも近くスペイン側はスペインバスクという地方だ。
成田から夜の便でパリに向かう。到着は現地の朝3時過ぎ頃。
ひとまずパリに到着。国内線乗り継ぎ。パリからボルドーは7時25分発。早朝過ぎて空港内カフェもやってないし3時間くらい暇だったね・・・・。
ついにボルドー到着。荷物のターンテーブルに巨大なワインが!!さすがワインの聖地。管理人のテンションも上がりまくり。
季節は10月終盤。街もすっかり秋の気配。西側諸国のトラムは本当お洒落。ハンガリーの100年くらい前のか?と思わせるトラムとは大違い。あれはあれですごくいいんだけどね。
トラムの停留所も旅行者には観光エリアだ。
ホテル横のこの公園を横切って巨大スーパー「オーシャン」がある。後々かなりお世話になる事に。
翌日は雨。とある路地にてプジョーが路駐。ハンガリーは100年前のカローラみたいな車が多いが(あれはれでいいんだけど)こっちはオペルとかこうした小さな車が主流。
下からパイプが出て来て車両進入禁止時間帯は入れなくなる。
ヨーロッパ人は傘を差さない人が多いと聞いたがそうでもない。それにしても何の店だろうか?客層的にスイーツか?ちなみにマカロンってフランスでも結構高いね。
確か指揮者の佐渡裕も公演した劇場(だと思った)タイルは滑りそうなので歩く人もいませんな。
明日はワインの生産地「サンテ・ミリオン」に旅立つのだった。
2001年ハンガリー・フランス旅行2
1日目。成田からパリまでのフライト。11時間後ようやくパリ・シャルルドゴール空港に到着。2時間後にブダペスト行きの小型機に乗り込む。何せ初めてなので乗り継ぎ時に荷物も自動で乗り継ぎされるのか?などと不安だったが同じエールフランスなので大丈夫だったようだ。そりゃそうだ。
さてと、ブダペスト行きに乗り込む。一人乗務員と揉めてる客がいたが恐らく預け荷物を取り出したいような事を言ってうようであった。もちろん却下。管理人の席は一番後ろの席でエンジンが真横にあって景色が全く見えなかった。これでは窓の意味がほとんどない。ぬるいビールを飲みつつ2時間くらいでブダベストに着いた。もうすっかり暗くなってる。21時くらいだったか。
乗り合いのミニバスというのに乗り込む。カウンターで料金を前払いするので安心だ。ストロベリーユースホステルまでと告げる。バスからの車窓は薄暗く古びた建物と昭和の時代のカローラのような車が行き交う。東ヨーロッパ感半端ない。40分程度でユースに到着。
ん?しかし写真と景色が違う。フロントまで行って気付いた。
なんとストロベリーの別館だった!
そう言えば1とか2とかあったような気もした。地図を広げると程なく近い場所にあるので徒歩で行く事に。辺りは薄暗いし大丈夫か・・・・・途中で車同士がしょうもない事で大声出してケンカしてるし。オレが優先だとかそんな感じだった。こういうの彼等はしょっちゅうやってるんでしょうね。
早々にハンガリーの洗礼を受けつつもなんとか目的のストロベリーに到着。「日本から来た管理人ですけどすでにA氏がチェックインしてると思うので」と告げると404号室(と記憶している)との事。旧式のエレベーターが少々恐ろしい。日本で言うとこの5Fに到着。本当にA氏はいるのだろうかと恐る恐るドアをノック。
彼は爆睡していた
しかし彼の特技は寝起きが素晴らしい事。一瞬で目覚め久しぶりに再開となった。牛乳とか水とか買い込んですでに生活感が出ていた。対応力早過ぎ。
ストロベリーユースとか言って名前は可愛いらしいけど実際は男子寮。ストロベリー感は全くない。しかしドナウ川のすぐ近くで観光客的にはテンション上がる。ドナウ川を挟んでブダ地区とペスト地区に分かれる。赤い印がストロベリーね。
到着後、ビールでも飲みに行きますかって事で近所のバーのような店へ。ハンガリーの物価は日本のちょうど半分くらい。
この日はもう遅いので寝る事に。すでに家を出てから24時間経過している。明日はサーキットに向かうのであった。
2001年ハンガリー・フランス旅行
2001年7月。管理人がとある小さな会社の社員だった頃予想外のボーナスを支給された(しかも現金)。入社して半年ちょっとだったので少なくとも夏は全く期待していなかった。
そんな事でもありとっとと使ってしまおうと決断。何に使うかと一瞬考えたが5秒後には海外旅行に行くと決めていた。これが人生初の海外旅行となるのだった。
さて、どこに行こうとなるのだがF1ファンでもある管理人は予てから海外でF1を見たいと思っていた。8月にハンガリーGPがあるのでそこに合わせて行くと決めたのだった。
F1のレースは全部で16戦(当時)あってそれぞれを違う国で開催する。3月から11月まで開催するのでおおよそ月に2レースのペース。金曜に練習走行が始まり土曜に予選、日曜に決勝となる。毎年だいたいのパターンは決まっていて8月にはハンガリーでレースがある。ちなみに日本は鈴鹿で毎年10月ね。
早速HISに行って航空券を取るもお盆まっただ中でどの路線も満員御礼。やっとのことエールフランスでパリ経由ブダペスト行きをゲット。ハンガリーは直行がないのでどっちにしろ乗り継ぎにはなるんですがね。
で、この話を音大の同級生A氏に伝えたら「オレも行く」となった。彼はこの時期パリの国際大学都市というエリアでマニアックなジャンルの音楽の勉強をしている最中でその合間にパリからブダペストに飛んで現地で合流しようって事になった。ブダペスト単純往復で7万かかったらしいが・・・・・
ブダペストのホテルはF1ウィークはどこも満員。やっと見つけたのがストロベリーユースホステルという大学寮を夏休み期間ユースにしてるとこ。ここを木曜夜から4泊で予約。一泊一人2000円くらいだっか、さすがに安い。そして次に肝心のF1チケット。現地のサーキットの公式ページでなんとか買えた。しかーし、海外送金に5000円くらい手数料がかかってしまった。海外送金のSWIFTという仕組みは銀行が手数料で設ける仕組みの一つなんだけどビットコインのような暗号通貨ができたのはこういうのがバカらしいのでなんとかしようという事でもあるのだ。
何はともあれこれで飛行機、ホテル、F1チケットが取れた。パスポートも作って準備万端だ。